久しぶりに『風の谷のナウシカ』を観ました。子供の頃からこの映画が大好きで、もう何度観たかわかりません。
あの頃はまだビデオの時代でしたから、テープが擦り切れて画面がざらざらになるくらい何度も観てました。
僕が生まれる前の作品なんですけど、ジブリで一番好きな作品です。
毒を放つ胞子と蟲が支配する腐海が人間の領域を侵食していく中、ナウシカは腐海が生まれた理由を突き止めようと孤独な努力を続けていて、自然と人間が共存するためには人間は無駄な殺戮をやめなければいけないと思っている。
人間が命を奪うことで、腐海の支配者の王蟲が怒る。
王蟲によって滅ぼされた街や国がある中で、とうとう人間は王蟲を逆に利用するようになってしまう。
ぺジテが発掘した古代の生物兵器みたいな巨神兵を奪ったトルメキアを風の谷もろとも王蟲によって滅ぼしてしまおうと、ぺジテは王蟲の子供を痛めつけて怒り狂った王蟲の群を風の谷へ誘導していく。
ナウシカは風の谷を守るために王蟲の子供を助け、彼らの怒りを正面から静めようとするが、王蟲によって命を落してしまう。
だが、王蟲はナウシカの死を前にして怒りを静め、金の触手でナウシカを蘇生させて森へ帰っていく。
人間と自然は共存しなければいけないけど、宮崎駿は共存の道としてそれぞれの領域を守ることが大事だとナウシカを通して言っているんだと思います。
「森へお帰り」とか、「ここは人間の入れる世界じゃないの」とか。
森には森の秩序があり、仕組みがあり、人間にも人間の秩序があり仕組みがある。
人は自然の力を借りなければ生きれない、風と水に守られた風の谷の人々はそれを自然と理解している。
けど、トルメキアやぺジテの人々は軍事競争の中でそれを知らないから、腐海を焼き払おうと目論んでいたり、王蟲を利用しようとする。
腐海も王蟲もいなくなったら、人間の生活をも脅かすことになるのに。
人間が毒に変えてしまった世界の水を、腐海の森が綺麗にして、人間や他の命を育んでいる。
綺麗な水があれば、胞子も毒を出さないし、人間と腐海が共存することができる。
ナウシカとアスベルは、それを知ってトルメキアとぺジテの人々に訴えるが聞き入れてもらえず、少なくとも風の谷だけは守ろうとするが、ナウシカは王蟲に命を奪われてしまう。
王蟲は、ナウシカの命を奪ってしまったことで森の命を守る彼らの使命からか我に返り、ナウシカを蘇生させて森へ帰る。
それを観た人々は意識を変えて、森と王蟲の「本当の姿」に気付く。
腐海の本当の姿を知らないから、人間はそれを恐れ、それを攻撃する。
テトがナウシカに怯えて噛み付いたように。
でも、テトがナウシカの優しさに触れて理解した時のように、未知のものへの恐怖がなくなればお互いに理解することができる。
ナウシカは腐海の胞子を研究していたから、腐海のことを誰よりも理解している、だから腐海を恐れるべき時は恐れ、恐れるべきでない時は恐れない。
王蟲の感情も理解できるし、他の蟲達の感情も理解できる。
相手を知ること、相手を知ろうとすることが、優しさに繋がる。
人間は自然を知って、自然への優しさを持ち、自然の領域を侵さないようにしなければならない。
でも、人間である以上、自然の力なしには生きられないから、自然の恩恵に授かる時は風の谷の人たちが風と水に払っていた敬意を抱かなければいけない。
自然は敵でもなく味方でもない、同じ世界に共存する1つの存在。
神秘的な力を持つ自然と、知恵の力を持つ人間はお互いがお互いの力になれるようにしなければならないが、それは知恵を持つ人間の仕事。
人間が自然を正しく畏怖しなければ、世界は滅びてしまう。
恐れるだけでも、見くびるだけでもダメ。
自然が良くも悪くも何を人間に与えてくれているのかを、正しく理解しなければいけない。
























