2008年07月03日

『風の谷のナウシカ』レビュー

風の谷のナウシカ久しぶりに『風の谷のナウシカ』を観ました。
子供の頃からこの映画が大好きで、もう何度観たかわかりません。
あの頃はまだビデオの時代でしたから、テープが擦り切れて画面がざらざらになるくらい何度も観てました。
僕が生まれる前の作品なんですけど、ジブリで一番好きな作品です。


毒を放つ胞子と蟲が支配する腐海が人間の領域を侵食していく中、ナウシカは腐海が生まれた理由を突き止めようと孤独な努力を続けていて、自然と人間が共存するためには人間は無駄な殺戮をやめなければいけないと思っている。

人間が命を奪うことで、腐海の支配者の王蟲が怒る。
王蟲によって滅ぼされた街や国がある中で、とうとう人間は王蟲を逆に利用するようになってしまう。

ぺジテが発掘した古代の生物兵器みたいな巨神兵を奪ったトルメキアを風の谷もろとも王蟲によって滅ぼしてしまおうと、ぺジテは王蟲の子供を痛めつけて怒り狂った王蟲の群を風の谷へ誘導していく。

ナウシカは風の谷を守るために王蟲の子供を助け、彼らの怒りを正面から静めようとするが、王蟲によって命を落してしまう。
だが、王蟲はナウシカの死を前にして怒りを静め、金の触手でナウシカを蘇生させて森へ帰っていく。


人間と自然は共存しなければいけないけど、宮崎駿は共存の道としてそれぞれの領域を守ることが大事だとナウシカを通して言っているんだと思います。

「森へお帰り」とか、「ここは人間の入れる世界じゃないの」とか。

森には森の秩序があり、仕組みがあり、人間にも人間の秩序があり仕組みがある。
人は自然の力を借りなければ生きれない、風と水に守られた風の谷の人々はそれを自然と理解している。

けど、トルメキアやぺジテの人々は軍事競争の中でそれを知らないから、腐海を焼き払おうと目論んでいたり、王蟲を利用しようとする。
腐海も王蟲もいなくなったら、人間の生活をも脅かすことになるのに。

人間が毒に変えてしまった世界の水を、腐海の森が綺麗にして、人間や他の命を育んでいる。
綺麗な水があれば、胞子も毒を出さないし、人間と腐海が共存することができる。

ナウシカとアスベルは、それを知ってトルメキアとぺジテの人々に訴えるが聞き入れてもらえず、少なくとも風の谷だけは守ろうとするが、ナウシカは王蟲に命を奪われてしまう。

王蟲は、ナウシカの命を奪ってしまったことで森の命を守る彼らの使命からか我に返り、ナウシカを蘇生させて森へ帰る。
それを観た人々は意識を変えて、森と王蟲の「本当の姿」に気付く。


腐海の本当の姿を知らないから、人間はそれを恐れ、それを攻撃する。
テトがナウシカに怯えて噛み付いたように。

でも、テトがナウシカの優しさに触れて理解した時のように、未知のものへの恐怖がなくなればお互いに理解することができる。

ナウシカは腐海の胞子を研究していたから、腐海のことを誰よりも理解している、だから腐海を恐れるべき時は恐れ、恐れるべきでない時は恐れない。
王蟲の感情も理解できるし、他の蟲達の感情も理解できる。

相手を知ること、相手を知ろうとすることが、優しさに繋がる。

人間は自然を知って、自然への優しさを持ち、自然の領域を侵さないようにしなければならない。
でも、人間である以上、自然の力なしには生きられないから、自然の恩恵に授かる時は風の谷の人たちが風と水に払っていた敬意を抱かなければいけない。

自然は敵でもなく味方でもない、同じ世界に共存する1つの存在。
神秘的な力を持つ自然と、知恵の力を持つ人間はお互いがお互いの力になれるようにしなければならないが、それは知恵を持つ人間の仕事。
人間が自然を正しく畏怖しなければ、世界は滅びてしまう。

恐れるだけでも、見くびるだけでもダメ。
自然が良くも悪くも何を人間に与えてくれているのかを、正しく理解しなければいけない。
風の谷のナウシカ
ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
宮崎駿(原著)宮崎駿(脚本)久石譲(その他)
発売日:2003-11-19
おすすめ度:4.5
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2008年07月01日

『ほしのこえ』映像作品レビュー

ほしのこえ(サービスプライス版)若手のアニメーション監督が作ったショートフィルム『ほしのこえ』を観ました。

可能性とかポテンシャルを感じる作品ではありますけど、この作品単体で観たら別に新しいことをやっているでもなく、ストーリーもオリジナリティにかけて、ネット上にある感動系のフラッシュアニメーションにありそうな話。

背景は綺麗だけど、「綺麗でしょ?」って押し付けられているような感じで、比べられる人ではないですけどジブリの背景を描いてる男鹿和雄さんに比べたら人為的すぎる表現です。

自然が僕らの心に伝える感動は確かに大きいものですけど、何気なく感じとる大きさであって、身近にある自然が僕らに与えてくれる感動はもっと茫漠とした小さな震えのような感動だと思います。
強い感動を伝えようとする神秘性とか幻想性を含んだ自然の色彩が、自然の光であるはずなのき機械的な印象を受けてしまいます。

シリウス系の惑星から太陽系に攻めてくる宇宙人が有機的な機械を使っていたり、ロボットを操縦する主人公の女の子の心象に主眼を置いて表現する展開だったり、エヴァンゲリオンとかガンダムの路線をそのまま踏んでいて新しいことをやってやろうという意思を感じない。
「ああいうものを作りたい」っていうファン意識による模倣にしか見えない。

でも、可能性は感じる。

この監督は、いつか革新的な作品を作ってくれるような気がします。
まだこの作品ではそれができていないけど、できそうな予感が漂っています。

今後に期待な作品。
ほしのこえ(サービスプライス版)
コミックス・ウェーブ
発売日:2006-11-17
おすすめ度:4.0
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2008年06月20日

『火垂るの墓』ドラマ版レビュー

終戦六十年スペシャルドラマ 火垂るの墓実写ドラマ版の『火垂るの墓』を観ました。

アニメの出来がよすぎたので、そのイメージが強くて実写だとどういう感じになるか、ちょっと不安な面もありましたが意外とよくできていたと思います。

節子の雰囲気がアニメ版そのままだったのは感動しました。

アニメと同じ小説を原作としているので、内容は説明する必要はないと思うので割愛します。

兄妹2人の悲劇に心を動かされるのは相変わらずなのですが、松嶋奈々子の演技に取ってつけたような違和感があって、それだけ興醒めでした。
せっかく2人に感情移入していたのに、松嶋奈々子の演じる不自然な厳しさが、今見ている映像がドラマなんだということを思い出させて、毎回がっかりする。

2人を取り巻く人たちが生きるために他人に厳しくして自分を守っている中で、松嶋奈々子が1人だけ役者に見えてしまう。
子役2人の演技が素晴らしいだけに、松嶋奈々子の演技が邪魔でしょうがなかった。

まるでその部分だけメイキング映像が差し込まれているような、戦争の悲劇に巻き込まれて死んでいった2人の兄妹のドキュメンタリーではなく、ドラマ制作の様子を伝えるドキュメンタリーな感じがして残念。

他は素晴らしい。
ドラマとは思えないクオリティで、あまり好きではなかった俳優の要潤の演技が好きになりました。
軍の広報みたいな人たちに食って掛かる清太を止める時の演技はほんの一瞬の演技でしたけど、心に残りました。


兄妹を演じた石田法嗣と佐々木麻緒の素晴らしい演技力に感動する作品です。
本当の兄妹みたいだし、本当に戦争の中にいるみたいで、本当に辛い生活をしているのが伝わってきました。

病気で憔悴した節子の表情、節子の亡骸をおぶって歩いて行くシーン。

どちらも2人の演技力がなければ、あんなにいい映像にはならなかったでしょう。
2人の才能が今後どう花開いていくのか楽しみです。
終戦六十年スペシャルドラマ 火垂るの墓
バップ
野坂昭如(原著)
発売日:2006-02-22
おすすめ度:3.5
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2008年06月19日

『神童』映画レビュー

神童成海璃子と松山ケンイチ主演の映画『神童』を観ました。

初めて成海璃子観ましたけど、まだ15歳なんですね。
15歳でこんな演技ができるなんて信じられません。
役だけじゃなく、役者も神童です。


そんな成海璃子が演じる13歳の天才的なピアニスト成瀬うたと、松山ケンイチ演じる才能のない音大受験生菊名わおの話。

下手だけどピアノが大好きなわおと、ピアノが嫌いだけど天才なピアニストのうたが出会って、うたに教わったわおは少しずつ上手くなっていき、わおを見ていたうたは少しずつピアノが好きになっていく。

でも、うたは母親に強制的にピアノを弾かせられていて、それに対する反抗から自分がピアノを好きになっていく気持ちに素直になれない。
本当は、子供の頃からずっとピアノが好きだったのに、同じ様に天才的なピアニストだった父親が死んでしまってからは、いつの間にか母親に強制されるようになって嫌いになってしまった。

でも、下手なのにピアノを愛しているわおに出会って、自分もピアノが好きなんだと気付き始める。

時を同じくして父と同じ難聴の兆しが見え始め、うたはピアノが弾けなくなる不安に苛まれる。
その不安が、より一層ピアノが好きだという気持ちを呼び起こして、うたは自分はピアノが好きなんだと素直に認められるようになる。

美術ばっかり得意だった僕には音楽のことはサッパリわかりませんけど、美術よりも鋭敏な感覚が大事であろう音楽に心が大きな影響を与えるのはわかります。

母と対する時、うたはピアノが嫌いになるけど、ピアノが大好きなわおを前にするとピアノも音楽も大好きだと思える。

難聴の兆しが見えて、わおのお陰でピアノが好きな自分に気付いて、音楽を楽しめるようになった時に世界的なピアニストの代演をすることになる。

その演奏を最後に、うたの耳は聴こえなくなる。
うたは、子供の頃に父親と共に訪れた「ピアノのお墓」に売られてしまった父のピアノを探しに行く。

音楽が大好きだった子供の頃の記憶が、うたをそこにまで連れて行く。
父のピアノを前にして、鍵盤を押してもその音が聴こえなかったうただけど、うたを探して来たわおが鍵盤を押した音で聴覚が蘇る。

「音楽」は、音を楽しもうとしなければ聴こえない。
音楽を楽しまなければ、いい音楽は生まれない。

下手だけど楽しんでいるわおと、上手いけど嫌っていたうたが出会った事で、2人のピアノにいい音楽が宿る。


成海璃子の演技の素晴らしさがあってこその映画。

ただ、脚本がいまいち。
取ってつけたような台詞が多くて、現実味がない。
安いドラマ程度の言い回しで、せっかくの演技が台無しになってる。

台詞がない部分は、すごくいい。
2人の演技が2人の気持ちを伝えてくれる。

ちょいちょい出てきた中学生たちの演技も上手かった。
若い才能に助けられた映画です。

もっといい脚本があれば、もっといい映画になったはず。
それだけ残念。
神童
VAP,INC(VAP)(D)
発売日:2007-11-21
おすすめ度:3.5
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2008年06月14日

『新世紀エヴァンゲリオン』TV版レビュー

NEON GENESIS EVANGELION DVD-BOX最近、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』を最初から見直しました。
新劇場版』を観て、最初に作られたエヴァを観ないとこの後に公開される2つの映画に込められた意味、表現したい事や物を理解することが出来ないと思ったからです。

で、TV版を見直してみたら、今まで勘違いしていたこととか、忘れていたことが出てきて、より深くエヴァを理解することができました。
でも、まだわからないことも幾つかあるし、新しく増えもしました。
どんだけ深いんでしょうね、この作品は。


旧作のエヴァンゲリオンは、最後に映画とTV版2話が完結編になっています。
この映画とTV版は、時間的に前後している話ではなく、同時に起っていることを2つの世界から描いたものです。

映画は物理的世界、つまりシンジにとっての外界から。
TV版は心理的世界、つまりシンジにとっての内界から。

人間は内界と外界の両方に跨って生きています。
ただ、外界という存在は心理的把握を通じて始めて理解されるものですから、外界の存在は内界の存在なくしてはありえません。

だから、人は自分が自分で作り上げた「外界像」の中に生きるしかない。
そこに描かれた世界が、自分にとっての世界なんです。
人はその世界から出ることはできないし、他人の中にある世界に入ってその世界を生きることはできない。

ただ、他人の世界の中には、他人がその世界に描いた自分がいる。
アスカが描く世界の中には、アスカが見たシンジがいる。
シンジが描く世界の中には、シンジが見たアスカがいる。

そして人はその世界に自分の存在理由を問う。

シンジは母を無くし父に捨てられて、自分はこの世界にいらない存在だと思い、誰かが自分を求める理由に従って生きる。
エヴァのパイロットとして世界を救うのはシンジにしかできない、周りがそれを求めるから自分はエヴァに乗る。

アスカは母の目に自分が映っていないのを見て、そして母が自分の変わり身である人形と一緒に心中するのを見て、自分は自分、何もかも自分で決めて自分1人で生きて、周りの人間に自分のすごさを認めさせたいと思う。
だからエヴァに乗って、自分が世界を救うんだと強く心に誓う。

レイは自分が誰だか分からない、自分は作られた存在だから、自分には感情が欠如している部分があると思い込む。
自分はエヴァに乗るために作られた人間だから、エヴァに乗る。

「エヴァに乗る」というのが、自分のアイデンティティを決定する行動として象徴的に描かれています。
その行動には理由がある。
なぜ「エヴァに乗るのか」が、それぞれのアイデンティティの表れ。

ただ、そのアイデンティティに疑問がある。

誰かが乗れというからエヴァに乗る、乗りたくもないのに。
自分はいいパイロットだからエヴァに乗る、でもシンジの方が優秀。
自分はエヴァに乗るためにいるからエヴァに乗る、でも碇親子はそれ以上に自分を大切に思ってくれる。

「エヴァのパイロット」であることがアイデンティティではない。
エヴァのパイロットではない自分も存在した可能性がある。
その自分も紛れもない自分。
自分のアイデンティティは、エヴァのパイロットであることではなく、自分が自分であること。

人類補完計画によって、全ての人は求め合う理由、満たしあう理由を解決し、全ての人間の心から欠如したものがなくなる。
でも、それは自分が自分を失うことであって、そこに満足感なんかない。

人類の補完を担うシンジは、最後に補完を拒絶する。

自分は他人ではないから、自分でいられる。
自分でいられることは、とても幸せな事。
他人が自分を求めてくれるし、自分が他人を求めることができる。

不完全な心を持っていても、自分が自分であることに代わりはないし、それが自分が自分でいるいる理由だから、自分は自分でいたい、他人ではない自分でいたい。

母と言う絶対的に味方でいてくれる存在から離れる。
父と言う相対的に敵である存在と同じ様に立つ。
そこで始めて、自分が自分になる。


人間の心理的世界を描いたことで、革新的なアニメだと言われています。
アニメは外界を描くものであったのが、エヴァンゲリオン以降は内面世界をも描いていくものになる。

日本のアニメが、世界のアニメとは絶対的に違う立場にあるのは、その点だと思います。
日本のアニメは深く深くテーマを掘り下げていく。
けど外国のアニメーションは、相変わらず「動く絵」でしかない。

どっちがいいわけでもないですけど、日本では1つの表現の方法として芸術の一分野に確立されています。

オープニングにサブリミナル効果を利用していたり、黒地に白字を使うだけの映像で「動く絵」から脱却を図っていたり、斬新な手法を取り入れたすごいアニメです。
日本語の「アニメ」という言葉は今や「絵画」とか「音楽」とか「映画」とかと同じレベルに置ける言葉になっています。

宮崎アニメが芸術的領域にまで到達していますし、彼の弟子である庵野監督が作ったエヴァンゲリオンもアニメが更に新しい表現方法として使われていますし。
日本のアニメはこれからも新しい進化を続けていくでしょうね。
NEON GENESIS EVANGELION DVD-BOX
キングレコード
GAINAX(原著)
発売日:2003-06-25
おすすめ度:4.0
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2008年06月06日

『300(スリーハンドレッド)』映画レビュー

300<スリーハンドレッド>特別版(2枚組)ペルシア戦争の緒戦となったテルモピレーの戦いでのスパルタ軍を描いた映画『300』(スリーハンドレッド)を観ました。

「自由」を連呼する王の描写にアメリカ的な人生観が垣間見えて違和感がありますが、スパルタ人の理想を映像化したような作品で面白いことには面白い。
エンターテイメント性が濃くて多少興醒めする感はありますが。

せっかく歴史上の素晴らしい人物を主人公としているのに、空想的なペルシア軍の描写さえなければ名作になった映画です。
ペルシア軍の稚拙な空想的演出がどうしても玉に瑕と言わざるを得ない。

スパルタ人の理想、リュクルゴス制の理想を劇的に描いている半面、現実離れしたペルシア軍の装飾が史実を描いているという現実感を失わせてしまっている。

見るからに忍者をモチーフにした夜戦部隊とか、魔法使いみたいな特殊部隊とか、ペルシア王のクセルクセス1世もピアスしすぎだし。

伝説的な雰囲気を醸し出そうとする、雲間から刺す金色の日光を背景に使いすぎていて、最後の方は英雄的で壮絶な死を遂げるスパルタ王レオニダスの勇姿にくどさが残ってしまった。

映像自体は、華やかさを抑えながら、肉体の立体感を強調する強い陰影を使って、石版に刻まれた「ギリシアの歴史」を語る映画であることを上手く印象付けています。
華やかなペルシア軍と、簡素なスパルタの戦士を対比させることで、富を求めるペルシアに対して正義を貫くスパルタ(正確にはギリシア連合軍)の正当性を強調している。

ただ、主要な人物がみんな半裸なのが疑問。
スパルタ人って本当にこんな格好で戦っていたんでしょうか。
アテネの重装歩兵よりは身軽な格好だったと聞いたことがありますけど、さすがに半裸じゃないでしょ(笑)


僕個人の考えなんですけど、こういう史実を描く時は、その国の言葉を使って欲しいといつも思います。

アメリカが作る映画は英語しかない。
カモメ食堂』とかちゃんとフィンランド語と日本語を併用してるし、ロシア人が作った昭和天皇の映画『太陽』だって日本語だし、映画を作るときの価値観がエンターテイメント性にしかないのが、いいアメリカ映画をもつまらない映画にしてしまっていてもったいない。

ちゃんとギリシャ語で作ってくれてたら、この映画はもっと面白かったはず。
なんでギリシャ人が「ジーザス・クライスト!」って叫ぶのか、違和感がありすぎて、のめりこめない。

アメリカ映画の不況は、映画作りに対する意識が、世界の映画ファンのレベルについていけてない事にあるんだと思います。

今はメディアが発達し、文化が交流している時代ですから、映画を深く楽しもうとする人は、もっとレベルの高い映画を求めています。
ギリシャ人がキリストの名前を口にするような映画が、史実を語るなんて馬鹿馬鹿しいにも程があります。

せっかくいいテーマを選んでいるのに、アメリカ人お得意の善悪の二元論で語っても文句を言われないテーマなのに、もったいない。

もっと丁寧に映画を作って欲しい。
300<スリーハンドレッド>特別版(2枚組)
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2007-09-26
おすすめ度:4.0
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2008年06月03日

『サン・ジャックへの道』映画レビュー

サン・ジャックへの道フランス映画『サン・ジャックへの道』を観ました。
すごくいい映画ではないけど、観て損はない映画って感じ。

スペインにあるキリスト教の三大巡礼地の1つサンティアゴ・デ・コンポステラを目指すツアーに参加した8人とガイドの9人で、反発したり仲良くなったりしながら旅をする話。

サンティアゴ・デ・コンポステラのことをフランス語だとサン・ジャックって言うんですね。
多分サンティアゴ・デ・コンポステラに祀られているイエスの父「聖ヤコブ」のフランス語発音です。


話の内容は具体的な目的地を目指して旅をしていくものですが、そこに行く事よりも旅をすること自体を描こうとしている映画で、風景や町並の変化と途中で言葉が通じなくなることがフランスからスペインへ移動していくのを感じさせますけど、「いつもの生活」「今までの生活」とは違う状況に置かれて徐々に心境が変化していく様子を描いている作品です。

母の遺言によって巡礼の旅に出なければいけなくなった会社社長、高校教師、長期失業者の兄妹。
最初は喧嘩ばかりでも、徐々にぎこちなくとも兄妹らしい関係を取り戻していく。

社長は、見ず知らずの道連れと大嫌いな妹弟のために金を使うのがいやで、我慢して安宿に泊まっていたけれど、仲間としての結束してくると安宿がない時は彼ら全員分の宿代を払っていいホテルに泊まるようになる。

アラブ人の青年は、好きなクラスメイトの女の子と一緒にいたいがために旅に参加する。

友達のもう1人のアラブ人の青年は、自分は文字が読めない馬鹿だという意識を持っていて、旅の目的地はメッカだと信じていた。
でも、教師をしている喧嘩兄妹の妹からフランス語の読み書きを教わって自分は馬鹿じゃないという自信を持つ。

最初は、いつもの生活が送れるように、旅に不必要な荷物もたくさん持っていたけど、途中でそれが不必要だと気付いて捨てる。
いつもなら必要なものが、本当は不必要なものだと気付く。

旅の道連れという小さな「社会」の中で、便利になりすぎたり、疎遠になりすぎたりした現代社会に慣れてしまった人たちが、引き算で引ききれない本当の自分の気持ちを掘り起こしていく。

それは、自分が自ら変わるものでもあり、他人に教わるものでもある。
旅の道連れ9人がお互いに影響し合って、本来の「人間の社会」が持っている温もりや信じる気持ちを思い出させてくれる。

人間本来の気持ちは、キリスト教もイスラム教も無宗教も関係ない。
同じ様に旅の安全を祈る気持ちを持った時、誰もが同じ行動をとる。
それも素直に、純粋に、自然に。


色の補正が多少極端で青空をより青く、草原をより緑に強調しているのはフランス映画っぽいノスタルジックな雰囲気。
パリには無い自然の光を強調している。
自然の光景もフランス映画の「美」をまとって絵画のような色彩を帯びています。

日本的な「自然な自然」の描写ではなく、自然の美しさを強調している。
目に見える光景をスクリーンに映る1つの芸術にしようと言う努力が感じられる。

それが良いか悪いか、日本人なら賛否両論に分かれるでしょうけど。
これがフランス人の美意識だと思って観ないとわからない部分かもしれない。
でも、注意してみないと強調されてるようには観えないかもしれない。

地中海性気候の地域を通る巡礼の路ですから、「地中海の光は鮮やかだなぁ」という単純な印象かもしれないです。

でも、好きな人には気に入られる映像ですね。
フランス映画っぽい、感性と理性が融合した美しくも論理的な映像です。
サン・ジャックへの道
ハピネット
コリーヌ・セロー(脚本)
発売日:2007-09-26
おすすめ度:4.0
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2008年05月31日

『ルワンダの涙』映画レビュー

ルワンダの涙『ルワンダの涙』を観ました。

ツチ族とフツ族による紛争の中、生きる人々、救う人々、救いたくても救えない人々を描いた作品です。
ブラッド・ダイヤモンド』と並んでアフリカの現状を知るきっかけとなる素晴らしい作品です。

映画としての出来よりも、取り上げている内容に意味がある作品です。
映画としては『ブラッド・ダイヤモンド』の方が優れていると思いますが、取り上げる内容はどちらもアフリカの過酷な現状を伝えようとするもので、その点ではどちらも優れた作品です。

ルワンダの内戦はフツ族に対してツチ族が反政府組織を結成して、お互いに殺戮を繰り返していました。
現在ではこの内戦は収束しています。


ツチ族とフツ族の争いの中、虐殺を免れるための空間は国連平和維持軍が作ったシェルターの中しかありません。

外に出れば、待ち構える人々に殺されてしまう。

そんなシェルターの中にかくまわれている人々がいる一方で、国連平和維持軍が要請していたフランス軍の輸送団がシェルターに現れる。
トラックは2台、とても全員を救出することはできません。

フランス軍の言い分は、シェルター内にいるヨーロッパ人だけを先に救出するというもの。
ヨーロッパ人は我先にトラックに乗ってフランス軍と共に平和な国へと帰っていってしまう。

そんな中でも、ルワンダで30年来布教を続けてきた神父とその教え子の2人はシェルターに残ってルワンダの人々のために尽くすと決める。

国連平和維持軍がいる限り、シェルターと二人の安全は保障されている。
だが、平和維持軍は先制攻撃をすることができない立場にあり、シェルター外に殺戮集団が待ち構えていようとも、彼らに発砲することは許されない。

どうすることもできない状態で、とうとう国連安全保障理事会が平和維持軍の撤退を命じてしまう。
ルワンダの内戦は収束に向かっているとの見解の上での命令だが、現状ではシェルターを放棄してしまえば殺戮が始まるのは火を見るよりも明らか。

だが、軍人である平和維持軍はそれに従うしかない。
已む無く撤退を決意する平和維持軍は2人の白人にも帰国を勧める。
まだ若い教え子の方は帰国するが、神父はルワンダに残ると決める。

自分はアフリカと共にあり、今ここにいる人々は自分を必要としている。
神の教えを伝えるものとして、彼らを裏切るわけには行かない。

最後に子供達に洗礼を与える時間をすごし、平和維持軍は神父と人々を置いて去る。
そして、殺戮が始まるのだが、神父は子供達だけでも助けようとトラックに子供達を隠し、丸腰のトラックを運転してシェルターを離れる。

シェルターでは殺戮が始まる。

神父のトラックも、フツ族の関門で停められてしまう。
神父は交渉空しく殺されてしまう。
しかし、子供達は危険を察知して、夜の闇に逃げて助かった。


こんな殺戮が100日間も続いたルワンダでは国民の10%が虐殺により命を落したといわれています。
具体的な人数だと約80万人です。

ただ、遊牧民か農耕民かの違いしかなかったフツ族とツチ族。
彼らの対立を深めたのは欧米の植民地政策です。
統治を簡単にするために、片方を正義、片方を悪と決め付ける。
それによって、支配する側、支配される側が明確になり宗主国の負担が少なくなる。

ただそれだけの目的で、結果的に80万人もの人々がわけもなく殺されてしまう。
中には親の前で殺される子供もいたでしょうし、子供の前で殺される親もいたでしょう。

人と人が殺しあう国、地域は今でもまだ存在しています。
理由がなんであれ、殺戮を止める術はあるはずです。

日本は、中国や朝鮮半島、東南アジア、太平洋諸国で多くの人々を殺してしまった国です。
今、アフリカやアジアの国のために何かできることがあったら、惜しまずに協力するべきです。

四川省地震、ミャンマーのサイクロンへの援助は日本だからこそできる援助です。
日本みたいに地震と台風の被害がこれほど少ない国はないでしょう。
日本には技術とノウハウがある。
それを他国のために使うべき立場にいます。

でも、それを拒む国がある。
中国は日本への対立心とプライドで、援助活動の受け入れを延ばしてきました。
救える命も救えなくなってしまうほどのタイムラグを置いての受け入れでした。

ミャンマーも、パン国連事務総長の説得まではどんな援助も受け入れない姿勢を貫いていました。

大事なのは、国としての体面なのか、国民の生命なのか。

これから、地球の温暖化でサイクロンはより強力になるでしょうし、地震は永久になくなりません。
第3世界の国々は国民のために何かできるようにならなければいけない。
先進国はそれを援助しなければいけない。

第3世界で唯一自力で先進国に成長した日本は、先頭に立ってそういう国々を支援していかなければいけないのに、いつも世界の出方を伺っているだけ。
するべきことは、誰の目も気にせずに自分の信念を吊らぬいてやるべきです。

軍隊を持たない平和主義の国として日本は他国を救うための存在にならなければいけないと思います。
ルワンダの涙
AVEX GROUP HOLDINGS.(ADI)(D)
発売日:2007-09-19
おすすめ度:5.0
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2008年05月28日

『ギャング・オブ・ニューヨーク』映画レビュー

ギャング・オブ・ニューヨークディカプリオ主演の「ギャング・オブ・ニューヨーク」を観ました。
正直言って、アメリカの「歴史の短さコンプレックス」を原動力に映画を作ったら失敗しました、みたいな作品でした。

今や得られる全てを手にした街とでも言うべきニューヨークには、昔こんな時代があったんだとニューヨークの持つ暗い歴史を押し付けがましく、観せられているような感じがしました。

例えばローマだったら、ロムルスとレムスの兄弟が殺しあって始まった街だとか、カエサルが皇帝になった街だとか、パウロとペテロが殉教した街だとか、ミケランジェロが活躍した街だとか、いろんな歴史が詰まっています。
パリもそう、ロンドンもそう、北京や京都、エジプト、トルコ、旧大陸の国には一つ一つの街にも長い歴史が積み重ねられています。

でも、アメリカは違う。
長く見積もっても、コロンブスが新大陸を発見して以来400年弱の歴史しかない。
ネイティブアメリカンを考えても、中国やエジプト、イラク、インドには適わない。

富が集まるアメリカがどうしても手にすることができないものが、歴史という箔です。
イタリアと言えば、ローマから続く長い歴史、それと共に歩んできた芸術。
フランスと言えば、ヨーロッパを牽引した華やかな文化。
イギリスと言えば、近代的な民主主義をどこよりも早く生み出した国。
インドや中国と言えば、長い歴史の叡智がもたらす知恵。
日本と言えば、古くから続く技術、芸術、食にまで一貫して流れる日本人の精神。

そういうものがアメリカには存在しない。
ネイティブアメリカンの呪術くらいなもんです。

奴隷を解放したリンカーンは世界的にも賞賛されるべき歴史的人物ですが、それ以上遡ると、アメリカを作った以外に功績のある人はいない。

それがアメリカ人の持つコンプレックス。
我が物顔で世界を闊歩しているアメリカ人でも、自国の歴史の長さに関してはどの国にも頭が上がらないそうです。
特にイタリア、知ってる人にとっては一度も王朝が滅びたことがない日本も同じ立場だそうです。


そんなアメリカ人が「古い歴史」を頑張って語った映画だという印象しか残らない。

2つのギャング集団の抗争と勝敗から始まる話ですが、時を経て2つの集団を体現する2人の人物の戦いによって、再び雌雄が決せられる時までを描いているようで、違う。

最終的に勝つのは連邦政府。
3時間弱も観ていたのが馬鹿馬鹿しい結末でした。

何が言いたいのかサッパリわからない。

連邦政府に対する批判なのか。
ピストル(飛び道具)は卑怯だから決闘では使わないことにしようと取り決めた両陣営の決断と、鉄砲隊と艦隊の砲撃で壊滅するニューヨークの町を考えたら、ギャングの精神論を美化している作品に見える。

日本の武士道や、ヨーロッパの騎士道と、アメリカの「ギャング道」を並べたいようにはみえないし、その美化がどこに行き着くのかは不明です。

「アメリカはストリートから始まった」というのがテーマであるのなら、連邦政府の勝利で終わらせるべきシナリオではない。

ストリートから始まったものは砲撃で消し飛んだわけだから、結局今のアメリカに繋がっているものは、どこかから集まってきて砲撃している人たちなわけで、ストリートから始まってることにはならない。

このギャングの抗争が持つ意味をどこに帰着させたいのかが不明瞭なまま終わってしまった印象が強い。
もう一度、最初から観直したらわかる可能性があるのかもしれないけど、3時間弱もギャングの抗争に付き合わされた結末が、連邦政府の勝利という馬鹿馬鹿しい時間の使い方をさせられてしまったら、二度見るつもりにはならない。

ブラッド・ダイヤモンド」で久しぶりにアメリカ映画で素晴らしい作品に出会えたと思ったら、同じディカプリオ主演の映画に裏切られた。

「この映画はつまらない」とハッキリ言えるのは久しぶりです。
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2008年05月22日

『ブラッド・ダイヤモンド』映画レビュー

ブラッド・ダイヤモンド (期間限定版)ディカプリオ主演の『ブラッド・ダイヤモンド』を観ました。
この邦題は今時ダイ「ヤ」モンドなんですね、ずっとダイアモンドだと思ってました。

国連が最大の平和維持軍(PKF)を派遣するほどの国際問題である、紛争ダイアモンドを巡る話。
RUFという反政府軍と政府軍が内戦を繰り広げていたシエラレオネを主な舞台とした作品です。

現在では、シエラレオネの内戦は和解が成立してPKFによる平和への復興が推進されていますが、この映画の舞台となる時期は内戦の待っただ中です。

ダイアを巡る「4つのC」に、5つ目「Conflict(紛争)」が実は隠されているというのが、この映画のテーマ。

紛争ダイアモンドとは、反政府組織によって採掘され取引された、ダイアモンド以外を含む宝石全般のことです。
その取引によって生まれた利益が武器購入に充てられて内戦を長期化する原因になっていることから、世界的に問題視されていました。

今では、キンバリー・プロセスという認証方式によって紛争ダイアモンドは市場から排除される動きになっていますが、未だ出回っているそうです。

主人公はディカプリオ演じるダニー・アーチャー、ジンバブエ出身で南アフリカ軍に従軍していた白人のアフリカ人。
今はシエラレオネで採れたダイアモンドの密輸で生計を立てている。

もう1人の主人公は、シエラレオネの黒人漁師ソロモン・バンディー。
頭のいい息子がいつか医者になると夢見て平和に生活していた彼は、RUFの襲撃によって奴隷となり家族と離れ離れでダイヤモンドの採掘所で強制労働させられる。

強制労働の最中、大きなピンクダイヤを見つけ、それを盗んで見つからないように埋めることで、この物語が動き出します。

埋めたところをRUFの監視員に見つかり殺されそうになりますが、政府軍が偶然そこを襲撃したことで殺されずに収監されるに留まる。
そこで密輸で捕まっていたダニーが、ソロモンがピンクダイヤを隠したことを知り、友人のつてで自分と彼を釈放させる。

それから、彼らのダイヤを求める戦いが始まるわけです。


この映画で問題となっている紛争ダイヤを巡る問題は単純ではなく、現在世界に存在する問題のうち残虐なものがたくさん絡んでいます。

内戦、武器の密輸、ジェノサイド(集団虐殺)、強制労働、少年兵。

全てが反政府組織RUFが原因であれば、シエラレオネの紛争は単純な反乱でしかないのですが、問題は政府側までこれに関与していること。
文字通り、血で血を洗う戦いを続けていたのが当時のシエラレオネ。

RUFが虐殺している一方、政府軍も虐殺をしていて、「正義」の立場にたつ人は自警団を結成してどちらも敵として自分たちを守ることが必要。
それができない人たちは、両軍の襲撃によって命を落すか、偶然生き残るか、どちらかしかない。

映画では、RUF側にしか少年兵がいないように思えますが、事実は政府軍にも少年兵がいたらしく、完全に真実を述べた映画とは言えないような気もしますが、洗脳された少年兵による虐殺も存在していたことは事実。

主人公の信条「TIA (This is Africa)」という一言が、この状況を生き抜く術だったんでしょう。
悲惨な状況にあっても、全て受け入れて逆に利用してやるつもりでいないと生きることができない世界。

日本は治安が悪くなったと言いますが、そんなの戯言です。
村が丸ごと虐殺される国があるのに、治安が悪いなんて言ってられないですよ。
世界で5番目に平和な国と言われると、勤勉な日本人ならあと4カ国あるから自分たちの国はまだ平和じゃないと思ってしまいますが、あと194カ国も平和じゃない国があると思うと、世界がうらやむほどの治安です。


つらつらと色々書いてきましたが、この映画は素晴らしい映画です。

アフリカの現状「This is Africa」を明確に印象付けて、正しい問題意識を芽生えさせてくれる。

平和な国の人たちは「紛争(の報道)に飽きている」と言う台詞の通り聞き飽きて全然気にもしなかったニュースも、それが伝えようとする残虐さや悲惨さを理解すると無視できない問題になります。

これがアフリカ、これが今の世界なんだと思うと、平和に生きていることが申し訳なくなってくる。

日本の報道は、視聴者への配慮で穏和に温和に報道していこうとする傾向にありますけど、それで真実を伝えられるんでしょうか。
日本は年金問題とか道路特定財源だとか、金がないように思えますけど、世界的にみたら裕福な国です。

その国に生きる人間として、世界の紛争を解決する手段に直接関われないまでも何らかの支援をしていく必要がある。
日本国民がそういう意識を持てるように、報道はもっと真実を在りのまま伝えるべきだと思います。

アフリカへのODAを倍増するという福田総理の決断は、日本国内だけを見たら無駄な出費に思えますけど、世界を見たら日本以外にそれをできる国はないんですよ。
アフリカへのODAは、日本人であると同時に地球人として日本人が採るべき選択の1つだと思います。

消費税が5%の先進国って、他にないんですよ。
カナダは自然保護に、スウェーデンは社会保障に使うために日本の何倍も消費税がかけられている。

こんなに裕福な国にいるのに、年間何万円かの出費をケチっているべきではないと思います。

日本が消費税を増やしたら、国内で使うお金が増えるわけですから、今の通りに世界の平和を実現するための資金を提供することができるんですよ。

日本は先進国の中でも異常なくらい貧しい国から尊敬を受ける国です。
それは第3世界で唯一自力で先進国に成長した国であり、第3世界のみならず国連を代表する世界のために一番の支援をしているからです。
アメリカみたいに武器で問題を解決することがない日本は、世界のためにもっと尽くしていくべきだと思います。


とにかく、この映画は素晴らしい。
啓蒙的な側面はもちろん、映画作品としても素晴らしい作品です。

ディカプリオは本当に優秀な俳優になりましたね。
歴史に名を残す名優になることは間違いないでしょう。
その時、この作品は彼が出演した社会派作品の代表作になるんじゃないでしょうか。

それくらいの作品です。
ブラッド・ダイヤモンド (期間限定版)
ワーナー・ホーム・ビデオ
発売日:2007-09-07
おすすめ度:4.5
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2008年04月27日

『不都合な真実』映画レビュー

不都合な真実 スペシャル・コレクターズ・エディションこの映画は、ドキュメンタリー映画だと思ってたんですけど、観てみたら全然違いました。
ドキュメンタリーだと言えばドキュメンタリーですけど、イメージしてるのとは違います。

アル・ゴアによる大学の講義を記録して、いくつかの映像やコメント、伝記的要素を追加したような構成。

実際にアル・ゴアがアメリカ中、世界中でやっている講演をスタジオで映画用に撮影したようなものです。
だから、内容は一言で言えば「ゴアが喋り続ける」って感じ。

でも、その講演の内容は素晴らしい。
彼の訴えの正当性は認めなければいけない。
楽しい映画ではないけど、これは21世紀の世界を担う僕らは観なければいけないと思う。

アメリカ的なレトリックや、アメリカ的な浅い笑いの要素はイラっとするし、地球温暖化の最大の原因でありながら最も無関心でいるアメリカ国民に向けての講演だから、日本人やEU圏の人が見るとアメリカが悪いような多少してしまうけど、それはこらえなければいけない。

世界でCO2を多く排出している4つの地域のうちに、日本は入っています。
だんとつで多いアメリカ、残り3つは同じ程度。
ですけど、その3つはEUとロシアと日本。
小さい日本がたった1国で、EUとロシアに肩を並べてしまっている。

日本は自動車や電化製品の開発では、世界でトップを独走する省エネ大国ですけど、同時に多くのCO2を排出する国でもある。
中国は農村部の人口で割るから小さく見えるだけですけど、実際は石炭の消費量を考えたら日本よりは排出しているかもしれないけど、日本は中国よりも先に発展できた国だから、中国と比べてはいけない。
むしろ、これまでに日本が排出してきたCO2を考えたら、今の中国が排出するCO2を全てイーブンにできるくらいの努力をしなければいけないと思う。

それくらいの覚悟をしなければいけない。


僕は一度カナダに旅行したことがあります。
そこで、ロッキー山脈にあるコロンビア大氷河という氷河を見ました。
世界有数の大氷河で、端っこにだけ人が降り立つことが許されているんですけど、そこからみえるのはほんの一部。

氷河の全貌というか、メインとなる場所すら見えないほどの大きさでした。

でも、そこに行く途中、何年か前まではここから氷河だったという場所を教えられた時にそれが信じられませんでした。
そこから氷河まではまだまだ距離があったからです。
遠すぎて、逆に地球温暖化の影響を実感することができませんでした。
信じられなさすぎて、空想的な響きを残しただけでした。

でも、この映画を観て、その空想的な響きが突然現実のものとして反響して、あの氷河が失われてしまったことを実感しました。

温暖化は、確実に進んでいて、しかも加速している。
先進国に生きる人間は、幸い自分の生命維持に努力する必要がない。
アフリカの貧しい人たちに温暖化防止のための活動を求めるわけにはいかないし、今発展しようとしている最中の中国やブラジルにそれを強いるのも無理な話。

現実的に考えて、先進諸国が努力するべきであって、それが一番の課題。
国としての努力、特に日本だと企業としての努力に頼りすぎだけど、個人が努力できることもある。

僕たちは地球を守るために具体的な行動をしなきゃいけない。
不都合な真実 スペシャル・コレクターズ・エディション
パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン
ドキュメンタリー映画(俳優)アル・ゴア(俳優)デイビス・グッゲンハイム(監督)
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ゴアが書いた著作の方↓
不都合な真実
ランダムハウス講談社
アル・ゴア(著)枝廣 淳子(翻訳)
発売日:2007-01-06
おすすめ度:4.5
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2008年04月26日

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』映画レビュー

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 特装版ネットで予約していたので、発売日に届きました。
アマゾンとか楽天だと26%OFFでした。

ネットを使えない人は、使える人に比べて不利な生活を強いられてるのかもしれないと思いました。
本人は気付かないので、知らぬが仏って感じでもありますけどね。


僕はアニメ版は1回しか観たことがないので、細かいことは覚えていませんでした。
だから、何話分もある話を1時間半に詰め込んであるらしい今回の新劇場版の序を見ても、どこが削られてるのかサッパリでした(笑)

感想は、とにかく面白い。

新劇場版:序にはサブタイトルがついています。
「You are (not) alone」と。

使徒(敵)とエヴァンゲリオンが持っている他者と強力に隔絶された境界「ATフィールド」というのが、自己の領域とでも言うもの。
そこまでが自分であって、そこから外界であるようなものです。

それは、エヴァや使徒だけじゃなく、人間はもちろん全ての存在が持っているその存在自身が他の存在と区別している境界を象徴的に表していると僕は思っています。

そのATフィールドによって、自我は他者の中に存在することができないわけです。
だから、全ての自我は本質的に「You are alone」ということです。

でも、実際に人間はお互いに何らかの絆で繋がっていて、お互いの欠けているもの失ったものを補完し合いながら共存している。
だから、「You are alone」であると同時に「You are not alone」ということです。

碇シンジという14歳の少年は運命に選ばれて自分の意思とは裏腹に危険の中に身を投じて戦うことになる。

「自分の望み」は必ずしも排他的に叶うことはない。
人間にはそれぞれ与えられた命があり、体があり、精神があり、他者との繋がりがあり、運命がある。
それが、それぞれの人間を拘束して完全な意味での自由を奪う。

孤独であるはずの個人が、外界から拘束されてしまう。
運命は自分で決めることはできない。
けど、その運命の中でどうするかは自分が決めなければいけない。

シンジにエヴァ初号機パイロットという運命を与えた特務機関ネルフは命令を下し、彼の戦いを援護し支援することしかしない。
実際に碇シンジが戦うかどうかは、碇シンジという個人の意思に委ねられている。


アニメの歴史の中で受け継がれてきたヒーロー像を正反対に覆した作品です。

人々を助け、守り、導いてくれる存在であったヒーロー。
そんな「強い正義の味方」が従来のヒーローでした。

でも、シンジは完全にその逆。
弱く、周りに助けられ、守られ、導かれて、何が正義かも分からず悩み続けるまま、得体の知れない敵と、得体の知れない兵器で戦う。

最後の頼みである強いヒーローではなく、弱くて頼りないけどシンジじゃなければいけない。
運命に選ばれたエヴァ初号機のパイロットは碇シンジ以外にいないから。


個人的に、エヴァの代名詞にもなった、真っ黒の背景に真っ白の極太ゴシックの文字が浮かぶあの演出をもっと使って欲しかったです。
あれこそ、エヴァがただのアニメ(動く絵)ではないことを思い知らせてくれたのに。

それだけ心残り。
でも、今回のエヴァには文字による表現は似つかわしくないのはわかります。
完全に映像でストーリーを再構築していくつもりなんだと思います。

最後の最後、旧作では心理学の論文を朗読してるみたいな感じだったあの部分はどうなるんだろう。
今からすごい楽しみです。


エヴァンゲリオンは、自己、自我、自分、それがどう在るのかを問う深い話です。
ただのロボットアニメじゃありません。

ちなみに、この作品の庵野監督の師匠は、宮崎駿だそうです。
「風の谷のナウシカ」で巨神兵のシーンを作ったのがこの庵野監督。
上手すぎて、宮崎駿が何の手直しもできなかったとか。

最後の最後に余談ですけどね(笑)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 特装版
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三石琴乃(俳優)林原めぐみ(俳優)立木文彦(俳優)緒方恵美(俳優)山口由里子(俳優)総監督:庵野秀明;監督:摩砂雪;監督:鶴巻和哉(監督)
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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 通常版
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三石琴乃(俳優)林原めぐみ(俳優)緒方恵美(俳優)山口由里子(俳優)立木文彦(俳優)総監督:庵野秀明;監督:摩砂雪;監督:鶴巻和哉(監督)
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おすすめ度:3.5
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2008年03月02日

『フォレスト・ガンプ』映画レビュー

フォレスト・ガンプWOWOWでやってた『フォレスト・ガンプ』を観ました。
映画好き、トム・ハンクス好きとしては恥ずかしいことですが、初めて観ました。

ひねくれ者は、あんまり不朽の名作って言われると観たくなくなるんですよね(笑)
だから、今まで何となく借りもしないし、放送されてても観なかったりしてました。

観てみたら、ホントにいい映画でした。
悔しくはない。

これが「いい映画」であることを、悔しいけど認めるって人はいないと思う。
全然悔しくない、フォレストの純粋な心が伝染したのかな。


原題は「Forrest Gump」ですが、邦題には一言付け加えられていて「フォレスト・ガンプ 一期一会」です。

多分、原題をカタカナにしただけだと、年配の方に受け入れられにくいから話の内容を一言で言い表せる「一期一会」を入れたんだと思いました。

人並みの知能は持ってないけど、母や幼馴染のジェニーに愛されて真直ぐな心を持って成長したフォレスト・ガンプが、人生で迎える時々に出会う人たちや偶然の出来事から素直に影響を受けて不思議な人生を送っていく話。

どの出会いも一期一会。
その瞬間に偶然訪れた出会いが、フォレストの人生を面白いように転がしていく。
ケネディ大統領に招かれたり、ジョン・レノンと一緒にテレビ出演したり。

昔やってたカップヌードルのCMみたいに、歴史的な瞬間の映像にトム・ハンクスが入り込んでる映像はあのCMと同じ感じで面白いです。


この作品は2つの時間軸で構成されています。
一つは現在から未来へと向かう時間で、もう一つは過去から現在に向かう時間。

フォレスト・ガンプがバス停で偶然隣に座った人たちに、自分がこのバス停に座ってるに至るまでの人生を何気なく喋ってるっていうスタイルで話が展開していきます。
でも、フォレストの思い出話は当然現在に到達すれば終わるわけです。

そこから新しく展開し始める現在のフォレストが生きる人生が、それまでの人生と同じ様に思い出話のような感じがして、過去と現在と未来が一つにまぜこぜになったような感覚になります。

過去の出会いがあるから今がある。
今があるから未来がある。
過去があるから未来がある。
ってことは、過去も今も未来も全部一つにつながっている。

思い出話と現在進行形で動く人生が交錯するような演出は、それを表現しているんだと思う。

過去の偶然が、今の偶然を生んで、未来の偶然に繋がっていく。

フォレストが出会う人や出来事は、全部彼の人生に大きな意味を持っている。
でも、それはフォレストに限ったことではなく、誰でもそう。

ただ、フォレストは知能の低さと素直さで人一倍そういう影響を強く受けてしまうから、思いもしない大きな変化が人生に起きてしまっているだけ。


フォレストの素直な心にどんどん惹き込まれていく、ほんわかした作品です。

「人脈は財産」だって言いますが、フォレストを見ると本当にそうだと思う。
フォレストは、偶然バスの中で隣に座らせてくれたジェニーと出会えなければ楽しい少年時代は送れなかっただろうし、彼女の「走って!」の一言がなければ装脚具をつけたまま一生歩けなかったかもしれない。

フットボールもしなかっただろうし、陸軍にも入らなかっただろうし。
陸軍に入らなければババとダン中尉にも出会わなかっただろうし。

何もかもが偶然の出会いと出来事によるもの。
フォレストだけじゃなく、僕らもそう。

全ての瞬間が人生に影響している。

その瞬間瞬間をフォレストみたいに素直に生きていたら、生きることは全然辛くないのかもしれない。
気が沈んだ時に観たら、もっともっと感動できたかもしれない。

でも、元気になれるっていうのとは違う感じ。
人生の重荷がなくなる感じ。
この人生を素直に生きればいいんだって思う。

フォレストみたいに、自分もいい人たちに出会えたんだなぁと人生を振り返ってしまいます。
フォレスト・ガンプ
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おすすめ度:5.0
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2008年02月29日

『海の上のピアニスト』レビュー

海の上のピアニスト『海の上のピアニスト』を観ました。
昔、何年も前にビデオに撮っておいたのに、観る前に親がその上に別の番組を録画してしまってから、ずっと観たいと思っていたのをようやく観れました。

原題は「The Legend of 1900」ですが、てっきり原題も「A pianist on the sea」とかいう感じなのかと思っていました。
最初なんで1900っていう年代がタイトルなのかわかりませんでしたが、彼の名前が1900だったんですね。


主人公はヴァージニア号の船上で生まれ、一生の間に一度も下船しなかったピアニスト。
生まれた年にちなんで「1900」と名づけられました。

という人物説明を聞くと必ず思い浮かぶであろう疑問があります。
僕も思いましたし、他の誰でも思うでしょう。
「なぜ一度でも船を降りなかったのか?」と。

映画の中でも、彼の一番の友達となったトランペット奏者のマックスが同じ問いを彼に投げかけています。

でも、彼は答えてくれない。
ただ「陸の人間は、『なぜ?』ばっかりだ」とだけ。

彼にとって、海の上で生きるのが当たり前で、そこに「なぜ?」なんて疑問はないのでしょうか。

そう思ったりもしましたが、違うような気もします。

彼は陸の人間が海に出会う話を聞いたことがありました。
その人は「海の声が自分の人生を変えた」と言いますが、彼はその時27年も海の上に生きていましたけど一度もそんな声は聞いたことがなかったから馬鹿馬鹿しいと思ったかもしれません。

でも、彼の記憶の中にその言葉が残って、知らず知らずのうちに意識の奥の方で反響し続けていたのかもしれません。
その人の娘に出会うことで、その反響が大きくなって、その言葉を信じてみたくなった。

そして彼は下船を決意する。

でも、目の前に広がる大都市は無限に広がっていて、無限の可能性を彼の人生に用意している。
彼にはそれが恐ろしかった。

それまで自分の人生は、船首から船尾までの空間と、88あるピアノの鍵盤の上にしかなかった。
それが自分の人生だと思い、自分の人生を自分の思うがままに生きることができた。

有限の鍵盤の上で人間が奏でられる音楽は無限にある。
でも、無限の鍵盤の上で人間が音楽を奏でることはできない。
無限に押しつぶされて、人間は生きることに必死になるしかない。

でも、この船上に広がる有限の空間、ピアノが奏でられる88の音の上でなら、自分は自由に自分の人生を奏でることができる。

それが自分の人生。

ピアノの鍵盤は端から始まって、端で終わる。
人生もまた生まれた時始まって、死ぬときに終わる。

自分は自分のもの。
有限の鍵盤の上なら、自分は誰のものにもならずに自分でいられる。
自分を誰かの手にゆだねることなんてしたくない。

だから、陸の生活よりも、船と共に一生を全うするほうがいい。


彼は、陸を恐れて船を降りれない人のように見えて、誰よりも強く自分というものを持っている。

ジャズの生みの親との音楽対決の最中でも、いい音楽に出会うと相手や聴衆のことなんかお構いなしに素直に感動してしまう。
けど、相手の技量が自分に劣ることを完全に理解していて、勝ち目がないからふざけてるように見えても、最後に相手を打ちのめしてしまう。

自分の人生は自分のものだから、その結末さえも自分で選ぶ。
生まれた船と共に一生を全うするのが彼の人生。
船で生まれた時から、船で死ぬ時までの時間を自分の手で奏で続ける。


彼は、船を愛していたのでも、海を愛していたのでもない。

人には人生を決める何らかの感動のようなものがある。
ある男の場合、それは初めて見る海の声だった。
それまで小さな畑が自分の全てだったのに、無限に広がる海を見て人生は無限だという声を聴く。
そして人生が変わり外の世界へ出て行く。

でもあるピアニストは、海の上、船の上が自分の全てだったけど、タラップを降りる途中に初めて陸が目の前に広がる光景に出会う。
そこには手に負えないほどの無限の街が広がっていて、無限の道があって、無限の人生がある。
その